瀧内公美の若い頃は?知られざる涙の下積み時代の苦労話をリサーチ!

個性的な実力派女優として、ドラマ・映画・舞台と幅広く活躍している瀧内公美さん。


その演技力と存在感に魅了される人も多いですが、現在の輝かしい姿に至るまでの道のりは、決して平坦ではなかったようです。

そこで今回は、そんな瀧内さんの若い頃の経歴や、実力派女優となるまでの下積み時代の苦労話をご紹介します。

そこで今回は、

  • 若い頃の経歴は?
  • 涙の下積み時代
  • 主演デビュー3作品にまつわる苦労話

主にこれらについてまとめてみました。

それでは早速本題に入りましょう!

目次

瀧内公美の若い頃の経歴は?

妖艶な大人の色気を感じさせながら、内面の強さや繊細さを併せ持つ知的で魅力あふれる瀧内公美さん。

その唯一無二の魅力は、どのような青春時代を経て育まれたのでしょうか?

青春時代を紐解くと、知的で個性的な魅力の原石が見えてきました。

海外と日本を行き来した少女時代

幼少期の瀧内さん(事務所提供)

瀧内公美さんは1989年10月21日、富山県で生まれました。

一人っ子で、幼少期は父親の仕事の関係で日本とインドネシアを行き来していました。


5歳から小学校4年生までは、インドネシアのインターナショナルスクールに通い、年齢も国籍も違う子どもたちと共に学んだそうです。

日本に帰国後は、富山県氷見の漁港に近い電車が1時間に1本という静かな田舎町の環境での生活が始まりました。

日本の学校生活は、自分で受けたい授業を選択できるスタイルのインターナショナルスクールとは異なり、集団行動を重んじる風習があるため、瀧内さんは集団行動を強いられる事の多い日本の学校生活に中々馴染めなかったそうです。

芸能への興味は、映画好きの母親や、立川志の輔ファンの祖父の影響で、自然とお芝居に関心を持つように。

中学3年生で観た映画『赤い月』(主演:常盤貴子)に強く感銘を受け、「女優になりたい」という思いが芽生えたそうです。

高校時代〜大学進学 ― 進路を変えた「偶然の出会い」

高校は地元・富山県立高岡西高校に進学。強豪バドミントン部に所属しつつ、地元の芸能活動(主にグラビア)も経験しましたが、当時はまだ本格的な夢ではなかったと本人は語っています。

高校卒業後は上京し、大妻女子大学に進学。子どもが好きという理由で、教員免許を取得します。

しかし、大学4年の教育実習中、小学校の教頭先生から「人と何かをやるのは向いていませんね」と言われ、ショックを受けます。

帰り道、自転車で通りがかった映画の撮影現場で、かつて好きだった漫画の実写化と知り、思わずエキストラに応募。

その体験がきっかけとなり、「やっぱり女優になりたい」と強く思うようになりました。

「実習先から、自転車で帰っているときに、たまたま撮影現場を見かけて。スタッフの方に聞いたら、中学生時代に大好きだった漫画の実写映画を撮っていると言うんです。富山で撮影に遭遇することってまずないですし、しかもそれが自分の好きな漫画の実写っていうのに興奮してしまって。エキストラを募集しているというので、調べてすぐに応募しました」 

出典元:AERA〈続きはこちら〉


瀧内公美の下積み時代

出典:シネマカフェ映画『グレイトフルデッド』初日挨拶会

アルバイト3つ掛け持ちの下積み時代

瀧内公美さんが本格的に女優として歩み始めたのは、大学卒業後のこと。スタートは決して早くなく、当初はCMやテレビのオーディションに落ち続ける日々が続きました。

そんな中、女優活動を始めてわずか半年で映画『グレイトフルデッド』(2014年)にて主演に大抜擢され、スクリーンデビューを果たします。

華々しいスタートのように見えますが、現実は厳しく、それ以降は数年にわたりチャンスに恵まれず、苦しい下積み時代が続きました。

俳優の仕事だけでは生活が成り立たず、飲食店の皿洗いやホテルの配膳、ティッシュ配りなど、3つのアルバイトを掛け持ち。そんな生活が5~6年続きました。

ある日、舞台挨拶を終えたその足で飲食店のバイト先へ向かうと、外国人スタッフに「ネットニュースに出てるよ!」と驚かれたエピソードもありました。

主演デビュー3作品にまつわる苦労話

ここでは、瀧内公美さんのデビュー映画初期3作品の中でご自身が語っている苦労話をまとめてみました。

今では映画やドラマで引っ張りだこの瀧内公美さんですが、特にこの3作品は女優・瀧内公美誕生にはかかせない作品です‼︎

『グレイトフルデッド』2014年

『グレイトフルデッド』は、瀧内公美さんの映画初主演作となった作品です。

人との関わりを絶った“孤独ウォッチャー”という異色のヒロイン役を演じたこの作品は、孤独な高齢者と彼女との間で起こる狂気のバトルを描いた、非常にインパクトの強い内容です。

撮影は想像以上に過酷で、現場では演技の未熟さから「できていない」「まだ足りない」といった厳しい叱責を何度も受けたといいます。

特に終盤の感情を爆発させるラストシーンでは、自分の中のすべてを吐き出すような演技を求められ、「撮影後は心身ともに空っぽになった」と語っているほどです。

この作品は、瀧内さんにとって単なる主演デビューにとどまらず、女優としての限界を押し広げ、自分自身と本気で向き合った最初の原点とも言える大きな転機となる作品になりました。

『彼女の人生は間違いじゃない』 2017年

瀧内公美さんは東日本大震災で母を亡くし、仮設住宅で父と暮らしながら、昼は市役所の公務員、週末は東京でデリヘル嬢として働く主人公「みゆき」役を演じました。

リハーサルでは、「自分に甘いんだよ!」と廣木隆一監督から厳しい言葉を浴びせられ、瀧内さんは悔しさのあまり泣きながら帰宅したこともあったといいます。

精神的なプレッシャーからなんと体重が7kgも減少したと語っています。

この役に真摯に向き合うため、瀧内さんは実際に福島の仮設住宅に足を運び、現地の人々と交流し、本当に実在していていると思わせるリアルな「みゆき」の役作りに没頭しました。

また、撮影期間中は精神的なプレッシャーからなんと体重が7kgも減少したと語っています。

心身ともに役にのめり込むため撮影現場近くに滞在し続けていたというエピソードからも、彼女の覚悟が伝わります。

“喪失と再生”という難しいテーマに真っ向から挑んだこの作品は、彼女が演技者として深みを増した転機になり、以降のキャリアにおける更に重要な一歩となりました。

『火口のふたり』2019年

『火口のふたり』(監督:荒井晴彦)は、瀧内公美さんにとって女優としての大きな転機となった作品です。

濃密な会話劇と大胆な濡れ場が話題の二人芝居。登場人物はほぼ2人。結婚を控えた主人公・直子と、かつての恋人・賢治(柄本佑)との再会を描いた難役に挑みました。

撮影はなんとわずか10日間!

瀧内さんは膨大な台詞量をこなさなければならず、夜になると喉が痛くなるほど話し続けていたと語っています。

濡れ場の演出は、リアルに細かい動作まで指示があり、一歩間違えると怪我をするような振り付けに、相手役の柄本さんと2人で正確に動けるまで何度も練習したそうです。

この作品で、瀧内さんはキネマ旬報主演女優賞、ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞しました。

まとめ

今回は、瀧内公美さんの若い頃と下積み時代の苦労話についてお伝えしました。

芸能界デビューしてわずか半年という短期間で主演映画デビューを飾りましたが、その後数年間はアルバイトを掛け持ちしながら女優業を続けるという地道な時期が続きました。

女優業だけで生活が成り立つようになったのはデビューしてから7年後、2021年の映画『由宇子の天秤』で国際的な賞を受賞したあたりからと推測されます。

最近は、2024年に大河ドラマ『光る君へ』に出演、2025年にはNHK連続テレビ小説『あんぱん』に出演し注目を集めました。

今や実力派女優として映画やドラマへの出演が急増してとても多忙な生活を送られている瀧内公美さん。

女優として花開いた彼女が、今後どんな作品で私たちを魅了してくれるのかとても楽しみですね!

それでは、ありがとうございました!

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